お知らせ

「新年を迎えて、成蹊の思い出」

成蹊学園理事長 岸 曉

新年明けましておめでとうございます。皆さま新鮮な気持ちで新年を迎えられたことと存じます。....... 

そうしたなかで日本国内に目を転じますと、昨年も諸改革と苦しみつつ取り組んだ一年でありました。政治改革、行政改革、財政改革、社会保障改革、金融改革、教育改革などなど、小泉総理主導のもと数々の努力はなされましたが、目に見えた成果は乏しいと言わざるを得ません。中でも教育問題は我が国にとって、将来の国の命運を左右する最大の問題といっても過言ではないでしょう。世界第二位の経済力を持ち、レベルの高い洗練された知性を平均的に 持ち、勤勉で社会性をもった日本人が、自国の問題解決はもとより、アジアの発展に貢献しつつ、世界の中で、存在感ある役割を演じることは十分可能な条件を有していながら、必ずしも諸外国からそのような評価と期待を寄せられていないばかりか、自国の問題解決すら危ぶまれている現状は不本意と言わざるを得ません。

中国や東南アジアを旅しますと、貧しいながら若者の目は輝き未来への希望に満ちています。戦乱に明け暮れていたアフガニスタンの光景をテレビで見ますと、開放された子供たちがテント張りのにわか作りの学校で、それでも久しぶりに学べる喜びに輝いた笑顔で学んでいます。日本の若者の中にもしっかりとした考えをもち、自分の道を見据えながら、私欲を捨てて頭の下がる努力を積み重ねている人たちが大勢おります。しかし他方では自分の置かれた快適な環境にどっぷりとつかって、問題意識も薄く、安逸な日々を送るマジョリティがいます。彼らは自分が何に向かって努力し、何を貢献できるかよりは、もっともっと与えられることばかりを望んでいるようです。残念ながら、人間は特別に崇高な精神を授かったものを除いては、恵まれた環境に置かれたときよりも、ハングリーな境遇に置かれたときのほうが、より深く考え、より純粋になれ、より強く行動することができるようです。この五十年間日本はひたすら物質的な豊かさを追い求め、大切なものを置き忘れて来たような気がいたします。

それにつけても私が成蹊高校(旧制)に学んだ三年間のことを懐かしく思い出します。成蹊高校に入学したのは1947(昭和22)年でありましたから、第二次大戦が終わって間もない時であり、物質的には貧困の極みでありました。教科書なども不足しており、とくに私は文科乙類で第一外国語がドイツ語でありましたから、副読本に適当な書物などは大きな本屋でも手に入れることができませんでした。そこで先生がお手持ちの書物をお借りし、工面して謄写版で生徒の数だけ印刷し、これを教材にして授業を受けました。今のワープロ・パソコン世代には想像もつかないことと思いますが、薄い、蝋をぬった紙にタイプで文をうち、謄写版という道具を使って墨で印刷するのです。そのようにして作った、いわば手作りの教材ですから、我々のような怠け者でも、少しでも覚えて自分のものにしようという気持ちにならざるを得ませんでした。制服や学習用具なども乏しく、運動部の運動用具なども実に粗末な手作りや繕いのあるものばかりでした。成蹊には日本を代表するようなもったいないような立派な先生が大勢おられましたが、その先生方も実に質素な生活をされながら、ストイックにひたすらご自分の分野の研究と、我々生徒の指導にあたっておられました。私は今でも当時の先生方が廊下などを歩いておられるときの深い深いまなざしを昨日のことのように覚えています。多分ご自分の研究のことを歩きながらも考えておられたのでしょう。そのまなざしは私のその後の生き方に最も強い影響を与えたと思います。成蹊の少数教育も実にすばらしいものでした。私の文科乙類二十三回は入校時二十四名、卒業時十三名のクラスでした。減少した人数は三年間の間に他のコースに転じたのです。私は生涯に在学した学校のなかで、この成蹊高校の三年間が最も楽しく、最も貴重な時代でした。というより他の経験とは比較にならないのです。卒業以来、労をいとわないクラスメートのおかげもあって、毎年一度必ず集まっていますが、出席率は上々です。全員この日を楽しみにしています。生涯を通じる良い友を得ることができるのは成蹊のありがたさと思います。

現在中央教育審議会において、教育基本法の改正も視野に入れて「教育振興基本計画」が検討されつつあります。審議会委員、あるいは国民のかなりの多数には、このままの教育では二十一世紀の日本は二流、三流国になってしまう、という危機感があると思います。私は技術的、専門的なことを論ずるまえに、どうも教育の原点を見失っているのではないかという気がしてなりません。私は教育というものは「未完成の人格に対して、権威をもって、一定の強制を加えて、完成に近づけること」だと確信しています。生徒の個性やポテンシャルを読み取ろうとしない教育者は論外ですが、まったく生徒の自主性に任せていたのでは教育とは言えず、教育者の無責任にもつながりかねません。同時に家庭での教育が重要であることも否定できないと思います。日本の憲法二十六条二項、教育基本法四条一項にはほとんど同じ表現で「親は子供を学校に行かせる義務がある」と書いてあり、それ以上の親の義務には触れておりません。しかし親の義務はそれだけでしょうか。外国の憲法には「親は子を教育する権利と義務がある」とか「親は子を育て、教え、学ばせる義務がある」とか書かれ、家庭教育の義務をうたっています。法律で決められなくてもやるべきことはやる、のが当然かも知れませんが、考えなくてはならないのではないでしょうか。もはや日本は経済力において世界第二位であり、子供を労働力としてあつかって学校に行かせずに労働させる、というような心配はないように思います。それであれば、特に子供を学校に行かせるという義務だけをとりたてて書くのもいかがなものかと思います。

成蹊はその建学の理念として個性をもった創造的人格を育成するため、少数教育、一貫教育を目指しました。今後中教審が追及して行くであろう新しい教育の方向を成蹊はすでに実践しつつあると思っています。

成蹊は四年前から「成蹊学園二十一世紀構想検討委員会」で学園の新たな創造に向けて何をなすべきかを議論して来ました。現在少子化の中で私立学校の危機と言われていますが、成蹊学園は今が危機であると同時にチャンスとみなして、自己改革に努め、より魅力ある学園へと脱皮しようとしています。まずその教育理念として、中村春二先生の学園創立の理想にたちかえり、各人が持つかけがえのない資質、能力、性格を伸ばし、大勢に流されることなく、自分の意見をもち、かつそれを表現できる精神を養おうということです。それには第一に学生が自分の持つ個性を発見する多様な機会をクラブ活動や課外活動、社会活動、ボランティア、さらには海外留学等を通じてあたえること。第二に多種多様な進路選択を可能とする能力開発、そしてさらに社会人に対して生涯教育の場を提供しようということを目指しています。その路線の中で強調されていることに英語教育、すなわち国際的な場でコミュニケーション能力を発揮できる力と並んで、歴史教育に力を注ぐと書かれていることが注目されましょう。これから日本がアジアの中で、そして世界の中で、役割を果たして行くためには、なによりも日本の歴史的かつ未来的な位置付け、座標軸をしっかりと持たねばならないと思うからです。そして国際的なコミュニケーション力は英語力だけでなく、国際感覚であり、どう相手との間合いを取るかというバランス感覚が求められるでしょう。このような力は不思議と成蹊のようなのびのびとした教育環境、友人関係のなかで育つのです。

成蹊は昨年創立九十周年を迎えました。二〇一二年には一〇〇周年を迎えます。二十一世紀構想検討委員会が描いたヴィジョンを実現すべく一〇〇周年記念事業を展開すべく、すでにスタートしました。記念募金も行って、事業資金を作って行きます。

成蹊は東京都の西、吉祥寺の緑濃い八万坪余のキャンパスの中に小学校から大学・大学院生までが一緒に学んでおり、独特の雰囲気をかたちづくっています。これらの教育の理想と教育の場とが重なりあって成蹊教育の特色を発揮しているのです。

今回の日朝関係の進展に際して安倍官房副長官の働きが決定的な役割を果たしました。安倍副長官は小学校から大学まで成蹊で学ばれた方です。文字どおり成蹊を代表する卒業生であり、我々等しく誇りに思える方であります。今回の日朝交渉の中で発揮されたその見識、柔軟性、決断力、洞察力、調整力、どれをとっても個性教育を目指す成蹊教育のたまものであると思います。 成蹊は今後とも教育の理想を追いつづけていきます。


成蹊学園 広報 第48号より

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