成蹊探訪

成蹊探訪 30

志田素琴先生句碑

「暮れて越す草山一つ春の月」
 大学14号館前に、こう刻まれた自然石の句碑があります。句は旧制成蹊高等学校の教授で、国文学者の志田義秀先生が詠まれたものです。松尾芭蕉の研究家で俳人でもあった先生は、初号を虚白その後に素琴と号しました。
 富山県に生まれ、東大国文科時代には学園創立者中村春二先生とも親交を結ばれ、大正14年(1925年)旧制成蹊高等学校開設と同時に教授として就任しました。先生は本学の校歌の作詞者でもあり、また、図書課長も務められた方でした。
 この句碑は、先生の学徳を慕う人々が発起人となり、昭和16年(1941年)9月に建てられました。当時この松林の中には、岩崎小弥太理事長により「緑陰堂文庫」と命名された学園図書館があり、当初の句碑はこの図書館東側に建てられたものでした。
 写真は、昭和34年(1959年)の学生生活のしおり「桃李の下」に掲載されたもので、説明文に『…このあたりは大学の構内でも最も武蔵野の俤を存した所で、枯芝に寝そべって瞑想し、野鳥の声を聞きながら友と語るによい』と書かれ、当時の状況の一端が窺えます。
 先生の郷里、富山県の県立図書館には、志田文庫として俳書を主とした貴重な蔵書3千冊余が所蔵されており、その構内にも、先生の詠まれた句碑があります。
「ひよこどもあぴよ木陰の砂涼し」
【文:企画課】
志田素琴先生句碑

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